資生堂が福原と歩んできた147年を宣伝表現の側面から解説します

資生堂がブランドである理由は、創業者 福原有信のフロンティア精神、初代社長 福原信三 のクリエイティブ精神が源流です。とりわけ信三は社長就任の翌年に意匠部と試験室を設け、 化粧品に事業転換しましたが、その間に行った数々の改革が資生堂の礎となりました。また 信三は「すべてのものはリッチでなければならない」という言葉を残し、資生堂の経営指針 としました。第二次大戦後、信三の意志を継いだ社長・松本昇と宣伝部のデザイナー・山名 文夫がブランド再建を行い、その後、山名が顧問であった宣伝部が研究所や販売部門と共に ブランドの構築と事業を支えました。なかでも、クレ・ド・ポーやエリクシールなどのスキン ケア化粧品の研究体制を築いた福原信和の経営方針、そして福原義春が企画し販売促進と して画期的であったシーズンキャンペーンは資生堂を国内シェア1位におし上げ、ブランドの 現代化に成功しました。またフランスのアーティスト・セルジュ ルタンスを起用した世界統一 表現は資生堂経営のグローバル化を成功させ、その成果は現在に引き継がれています。

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